Underline

『自由を考える』を手に入れたのは2回目だ。最初は新刊で買い,出張のあいだ中,空いた時間に読んでいた。羽田に戻り,品川で乗り換えた山手線の棚に荷物と一緒に置き,本だけ忘れてしまった。
その後,東浩紀,大澤真幸それぞれの著作は読んだけれど,『自由を考える』を買い直すことはなかった。
少し前,高田馬場のブックオフで105円で売られていたのを見つけ,数年ぶりに手に入れた。安価なのには理由がある。前のもち主がアンダーラインを引いた本だからだ。

アンダーラインが引かれた古本を,こだわらずに買うようになったのにも理由がある。

「前に読んだ人がどのような箇所に興味があったのか判ると参考なる」

友人からそう聞いたのは7年前のことだ。古本に引かれたアンダーラインをそんなふうに見たことはなかったので,その言葉がやけに印象に残っている。私は本にアンダーラインを引いて読む習慣をもっていなかった。書棚には,アンダーラインが引かれた新刊はもちろん,古本もあまりない。他に選択肢がないとき,アンダーラインが引かれた古本を買うことはあったが,「はじめから数ページしか引かれていないじゃないか」「アンダーライン引きすぎだ」,そんなふうに感じながら読み進め,結果,読み終えることなく畳んだ本が何冊かある。

手元にある『自由を考える』のアンダーライン箇所は,私の関心とは微妙にずれている。そのことが面白い,というか,そんなふうに本を読むことができること自体,面白い。

先の言葉は当時,遠方に住んでいた友人に頼まれて本を手に入れ,もっていったときに言われた。タイトルだけ確認して中の様子をチェックせずに買ってしまったのだ。頼まれたのはエィミ・タンの『ジョイ・ラック・クラブ』だったと思う。
私は,アンダーラインを横目に小説を読むレベルには,まだ至っていない。初手からそんなものがあるならば,の話だが。

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