1990

昭和の終わりから平成にかけての記憶が定かでない。

1982年はKing Crimsonの“BEAT”とXTCの“English Settlement”がリリースされた年,1985年はP-MODELの“カルカドル”というように,手元に資料がなくともロックバンドのディスコグラフィを辿ってその年の記憶を手繰り寄せることは容易い。もしくは1983年の「Studio Voice」,1984年の「NAVI」――読んできた雑誌や本を通して記憶していることも少なくない。

それが1988年から1992年くらいまでのあいだ,前後関係の脈絡が混乱している。ジョン・マクガフが加入し,やたらポップなセッティングでアルバムを出していた時期のPILの“Happy?”“9”は,記憶のなかでは立て続けに1990年前後に出たことになっているのだけど,実際には,前者は1987年,後者は1989年のリリースだという。
「NEWパンチザウルス」は,1989年2月から4か月間の短命だったと記録されているけれど,もう少しべたっとした私の記憶のなかに沈んでいる。

しばらく前までは,CDが登場して後,旧譜と新譜が混同してきたからに違いないと思っていた。しかし,どうもそのせいではなさそうだ。

それは,職場が銀座7丁目から西新宿7丁目に至る時期と二重なり,ほとんどが中野区上高田に住んでいた時期にあたる。会社に行き,中野や高円寺のCD屋,古本屋,古着屋へ寄る。土曜日はスタジオに入り,そのまま夕飯だ。確かに,同じようなことを数年間にわたり続けていた。絵を描き,KORGT3にデータを打ち込み,映画を見る。もちろん本や雑誌を抱えながら。

事件が起こり,政変があった。にもかかわらず,記憶が時系列に積み重ならず,フラットなのはそのせいなのだと思う。

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