綴り

1年くらい前から,結城昌治や三好徹のスパイ小説を続けて読んだ。バーに勤める女性がこの世に存在しなければ,彼らの小説が描く世界は違ったものになったのだろうか,それとも小説自体書き記すことがなかったのだろうか,などと思いながら,それなりの冊数を読んでしまったため,さすがに食傷気味になった。

『殺意という名の家畜』以外,ほとんど手にしたことがない河野典生の小説だけど,少し前に赤羽のアーケード内にある古本屋の店先で『アガサ・クリスティ殺人事件』が売っていたので手に入れた。
読み始めてしばらく,“数枚綴りの航空券”というような表現があって,とても懐かしい気分になった。

平成のはじめ頃,当時,弟が勤めていたミラノに出かけたのが(団体旅行以外)はじめての海外旅行だ。ソウルでトランジットして,アムステルダム経由ローマ行きの大韓航空機だった。
風采からしてスリに遭遇する危険のかけらものないものだから,トラウザーズのポケットに財布を突っ込み,ただ気をつけたのはパスポートとエアチケットを落とさないことだけだった。
毒々しい赤,青,緑か何かのペラペラの紙にタイピングした文字はほとんど判読できなかったけれど,あれで空港で通用するのが不思議だった。ミラノから寝台列車でパリまでたどりつき,ポンピドーセンターとアニエスベーに寄ったきりでシャルルドゴール空港へ行かねばならない強行軍。あの判読しがたいチケットが,この空港で通用するのも不思議だった。

その後,何度か海外に出たけれど,いつの間にかチケットの存在感は薄れていた。

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