Atari

ページを捲りながら本の束(つか)がわからないというのは,謎に主題を置いた本にとって魅力的だと思ったことがある。物語の終わりが次のページかどうかあたりがつかないことは武器になるのではないかと思ったのだ。泡坂妻夫が現役だった頃ならば,武器を携え魅力的な物語を紡いだに違いない。

そう考えたのは数年前のこと。

ただ,これだけ電子書籍が話題に(だけは)なって後,量のあたりがつかない状態に,いまだ愉しみを見出せずにいる。

左手で辞書を摑み,探している単語が解説されたページに容易くたどりつけたのは,つまり摑んだ幅が辞書の全体であって,そこからおおよそのあたりをつけることが,それほど難しくはないからだと思う。
要は,初めがあって終わりがある全体をいかに摑むかだ。

Webで単語を検索する。そこに全体を見出すことはほぼ不可能なところに困惑する。データベースへのアクセスはそういうものだと言われればそれまでだけれど,どこかそこではないどこかへと身を置きたくなる。

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