KING CRIMSON解散時(1974)のビル・ブラッフォードのコメントに「所詮,音楽は逃避の対象だから」というニュアンスのものがあったと記憶している。
昭和50年代に聞いたCRIMSONはしばしばとてもリアルな音の塊として響いた。それをすごいと感じて,鼓膜が破れそうな音量で何度も聞き続けた。
くるりの新譜「坩堝の電圧」から1日2曲ずつWebで聴いて,昨日,娘と家内はタワーレコード新宿店でのインストアトーク・ライブに出かけ,私はUstreamを辿る。しばらくぶりで音楽が恐ろしくリアルな音の塊として届く。どこかで,そこに逃避している私がいることを感じるのが,さすがに10代との違いだ。それはさておき,すばらしいCDだと思う。