1987

    ただこの数日,彼が遺したものに触れる度,気弱に迎えた夜,ヘミングウェイの著作を開いたときのような,ああ男に生まれてよかったという少々とんちんかんな感動を禁じ得ない。
矢作俊彦『複雑な彼女と単純な場所』

 

「気弱に迎えた夜」というフレーズが入ってくるのが,矢作俊彦の文章所以。
友人に矢作俊彦のエッセイ集が出ていると知らされて,向かったのは書泉グランデだった。当時,入って真正面の棚は,とにかく新しい本,大部数を刷らない本がかなりの確率で据えられていた。東京書籍から刊行されたこの本が,だから書泉グランデに置いてあったのは当然なのだけれど,三省堂はもとより当時の東京堂書店でも見つけられなかった気がする。

1987年の矢作俊彦というと,前年に刊行された『舵をとり風上に向く者』以降,好事家がひっそりと愉しむ小説家の立ち位置から,ストレートノヴェルの書き手として認識されはじめた頃。そのまま巧みな短篇小説をまとめ続けてくれたならばという期待は虚しく,描き下ろし『ヨーコに好きだと言ってくれ』や連作「東京カウボーイ」(「すばる」他),翌年後半には「スズキさんの休息と遍歴」の連載を始めるなど,斯界(が何らかの意味をもつならばだけど)での認識に抗うような作品を発表する。

山崎浩一が「朝日ジャーナル」で村上春樹と並べて書評したのもこの時代だ。後に2004~05年あたりに再び,両者が比較して論じられるようになるまでの長い間隙は,昭和の終わりに発表された一連の作品によるのではないだろうか。

森詠の『雨のコンスタンチーヌ』を読み終え,書棚から久しぶりに『死ぬには手頃な日』を取り出した。当時の冒険小説家と矢作俊彦の小説が一線を画す点はいくつもあるのだろうけれど,物語のなかで経過する時間の短さについてはあまり触れられたことがないと思う。
100枚にも満たない分量のなかに,恋愛やら復讐やら逃亡劇・大活劇を盛り込む趨勢のなかで,数分から数時間のやりとりを描くことでその背景も含めて示す手法だ(文体で物語を書き分けるようになったため,この手法はもとより発表される短篇小説自体少なくなったのは本当に残念だが)。

このところ「気弱に迎える夜」が続いている。だから,なおさらにこんなことを思い出した。

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