1982


1982年というと,テレビ東京でポッパーズミュージックステーション(記憶ではこのようなタイトルだったと思う。つまりは渡辺POP実の番組)で,平日の21時からASIAやXTCなど,英国のロックバンドのミュージックビデオが流れていた当時,というような言い方を,実は1984年から友人の間ではしていた。 洋楽が面白かったのは1982年をテッペンとする前後数年で,1984年から様変わりしてしまったという認識を昌己と大学時代に合意を得たような記憶がある。 高橋幸宏の初めてのソロツアーはこの年に行なわれていて,NHK-FMでオンエアされたそのときのライブは以後,少なくとも6,7年間,よく聞いた。 私の高橋幸宏の音楽体験は,このときのライブと当時,DJをしていたラジオで流れる音楽,たぶんWILD & MOODYあたりまで,と東芝EMI時代のベスト盤程度で,他は裕一を通していろいろ聞いたから諳んじられるのだけど。 その裕一が還暦コンサートに行けなくなったというので,代わりにBunkamura オーチャードホールへ出かけてきた。 センター街を最後に歩いたのは10年以上前のように思う。昭和の最後の頃,クラブクアトロでライブがあるとここを突き抜けて行ったはずだし,友人との飲み会の集合場所はマイアミだった。終電を逃すとダンキンドーナッツのまずいコーヒーをお代わりしながら,始発を待った。 久々に歩くセンター街は変わっていないように感じた。ずっとこんな感じだったのではないだろうか。ただ,クアトロの下がブックオフになっていることに心から慄いただけだ。 Bunkamuraへもここ数年は行く用事がなかったもののあまり変わっていなかった。ぐるりめぐる段差で転びそうになるのはいつものことだ。 で,コンサート。とにかくアンコール前,オーラス前の2曲,つまりは「Glass」と「Something in the air」に尽きる。どちらもスティーブ・ジャンセンがドラムを叩いていて,それは1982年のライブを否が応にも思い出させる。なんてかっこいいドラムなんだろうと,誰彼となく語り合いたかったけれど,それができないのがとても残念だった。 3時間を超えるコンサートで演奏された33曲の7割くらいは知っている曲で,ニカに向かってからフォローしていないことを含めれば,私たちの世代(の一部)にとって,彼の曲は教養のようなものなのだなあと実感した。 学生時代,裕一が自主制作カセットをつくったことがあって,そのボーカルスタイルが揃いも揃って幸宏歌いだったこと思い出した。私たちの間では,他に「幸宏終わり」という言い方があって,曲の最後をスネアで「タンタタ」と締めることなのだけど,昨日のライブでもいたるところで幸宏終わりが響いていた。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top