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凍結前P-MODELのライブには“ONE PATTERN”リリース後に出かけたくちだけれど,凍結までの2年弱の間に,荒木,高橋が脱退した。P-MODELは4人編成を当時は常としていたので,サポートメンバーでライブをこなしていくことをしなかった。結局,KING CRIMSONには及ばないものの,相当のメンバーがP-MODELを経由した。

1987年に今の中野ZEROホールで荒木が脱退したときの脱力感は今も覚えている。バウハウスのケビン・ハスキンスの影響だと思われるロートタムをあげたセッティングで,2拍4拍にスネアを打たないことを志としているかのようなドラミングは,平沢のギターはさておき,ライブでP-MODELを体験するときの醍醐味だったのだ。

荒木は新潟で石油堀りの跡継ぎのため脱退せざるを得なかったと当時,何かで読んだ記憶があるが,高橋は,関東近郊のライブを2,3回見逃したところ,年末のライブインで,すでにことぶき光に変わってしまっていたので,脱退の経緯(というのだろうか)を知ったのは,20周年記念本のインタビューでだった。

ドラムが荒木から田井中さんに変わったときの落胆はしばらくライブをみるたびに続いた。高橋からことぶきに変わった途端,“ポプリ”の曲の演奏が増えたのがうれしかったので,落胆はしなかったけれど。

くるりから吉田省念が脱退したというニュースを見て,P-MODELやKING CRIMSON,いったい何人メンバーがいると思っているんだと,感じたことが一つ。これはメンバーの脱退が多いとのコメントに対して。

で,今年の武道館ライブは高橋幸宏のDVDのように,完全収録で発売されないのだろうか,というのがもう一つ感じたことだ。いや,とてもよかったので,本当に。

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