北杜夫02

ある座談会で栗本薫が,今の若い子は『楡家の人びと』を読まないらしいけれど,読書の面白さを知らないで大人になるなんてもったいないというような発言をしていたのを読んだとき,自分はこの小説を通して5~6回は少なくとも読んだはずだと,そのときは思った。

その後,電子書籍云々の話が巷で持ち上がってきたとき,比較されたのが音楽配信で,ふと,気に入っている音楽を5,6回しか聴かないなんてことはあるだろうかと感じた。以前記した通り,大江健三郎や高橋源一郎が小説を3回読むことが特殊なこととして記しているのを目にしたのもその頃だったと思う。読書というのは特殊な娯楽なのだと,だから感じたのは北杜夫の小説を通してだった。

矢作俊彦の『マイク・ハマーへ伝言』は手に入れてから,4回続けて読んで,読むたびになんだかわかってくる箇所が増えた。あのような読書体験はその後,あるはずもなく,『楡家の人びと』は第一,かなりの厚さだから比べるのもなんだけれど,それでも音楽に比べると読み返す回数はゼロいくつか少ないに違いない。

北杜夫と江戸川乱歩で中学時代が過ぎ,風邪で寝込んだときに中井英夫の『虚無への供物』と夢野久作の『ドグラマグラ』,小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』(いずれも講談社文庫)でその界隈の読書に嵌った。それでも全集を手に入れたのは,それらの小説家以外では辻潤(小説家ではないが),辻邦生くらいだ。

先の文庫本を読みながら,矢作俊彦は『楡家の人びと』のような小説を描けるのではないかと,ふと思った。というか,北杜夫とどこか近いところで小説を描いているように感じた。

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