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ガス入りのミネラルウォーターとキャラメルを手に入れ,テルミニ駅からミラノ中央駅をめざす。このあたりの記憶はやはり曖昧だ。コンパートメントにたどり着き,席が窓際だとわかりホッとした。9月を控えた窓の外の丘陵は花が咲きわたり,そんなこと生まれてから初めてしたのだけれど,ただ眺めているだけで時間が過ぎていく。

数時間後に,無事ミラノ中央駅に着いた。弟が勤める日本料理店はスカラ座の向かいあたりにあったので,トラムではなく地下鉄でドゥオモに向かう。平成のはじめ,通貨はリラで,円換算するときはゼロ1つ取ったくらいの価値だと記憶している。弟が勤めるレストランの住所くらい控えてきたと思うのだけれど,スカラ座のあたりをしばらくうろついてしまったのは,その建物がかなり年代もので,およそ日本食レストランが店を構えているような佇まいでなかったことと,入口というか裏口がまったくわかりづらかったためだろう。

ちょうど休憩で路地に出てきたイタリア人が私を見るなり笑いかけ,手招きをする。美術館のなかの狭い通路のように薄暗い廊下に弟がいた。
「昨日,ローマで電話したんだけど,うまくつながらなくて」
「ローマに泊まったの? 母親から電話があって,連絡がないから心配していたよ。よく部屋がとれたね」
「なんとかなるもんだよ」
「飯まだだろう。賄があるから食ってよ。一寝したらおれのうちに送っていくから」
「ありがとう」

中庭を囲むように地下1階から地上3階で建てられたレストランの奥まった部屋に弟と連れ立って入った。その部屋にはイタリア人の同僚が数人休憩をとっていた。弟は彼らに私の世話を頼んだようで,「夕方の休み時間になったら送っていくからそれまで,ここで休んでいて」と言い残して出て行った。

シャワーを浴びてその部屋に戻ると,いつの間にかイタリア人は一人しかいない。彼から飲み物と簡単な食事をすすめられた。部屋の片隅に使い古されたカウチがあって,座り込んだ途端,眠り込んでしまった。

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