精神

世田谷美術館で「アンリ・ルソーから始まる 素朴派とアウトサイダーズの世界」,相田和弘監督の映画「精神」を見てきた。古賀春江を見に行った1993年以来,いやダーガーを見に行った記憶もあるのだけど,それでも10数年ぶり。

「精神」はとても懐かしい記憶がよみがえってくる映画だった。私のマンションの管理組合設立会をした同じ敷地内にある高良興生院は,映画に登場する診療所にとても似ていたし,昭和60年代に2年間ほどアルバイトした精神病院で出会った患者さんが,まるでそのまま画面に登場してきたような感触。

一番興味深かったのはドキュメンタリー映画であるにもかかわらず,全体,「なぜ」という問いが,とても希薄なことと,にもかかわらず,その場にいる方への自然な関心が感じられたこと。上映後の相田監督が,世の中のスムーズな成り立ちに対し,患者さんはなぜ,どうしてと考えているというようなお話をされていたことで,そのあたり腑に落ちた。

「なぜ,どうして」というあなたへの関心は,日常の動きを止めてしまう。「なぜ,どうして」を発しないあなたへの関心のもちかたがあるのだなあ,と。

最初にBGMやナレーションを入れない観察映画で,でも開始早々,登場する方がくるりの「ハイウェイ」のCDをかけていたのは思わず,のけぞってしまった。来週,家族そろって今年4回目のくるりのライブに出かける予定。

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