反精神医学


昭和60年代に,反精神医学系の本を集めていたことがある。宇都宮病院事件があった後,一方で三枚橋病院のことがとりあげられ,悪い石川とよい石川など比較されていた時期だ。

矢作俊彦の『真夜中へもう一歩』が単行本化され,後に福田和也が“新人類の云々”と評してから,この本はその文脈で紹介されることばかりだけれど,連載の頃から大熊一夫のルポをネタ元に,精神科医療について丹念に調べたうえで書き始めた小説のように思う。そういう文脈で語られないことは,たぶん,あったかもしれない精神医療に関するブームが,その後,あまり関心をもたれなくなった証ではないだろうか。

反精神医学自体はうまくいかなかった運動であるけれど,そこで語られた言葉はいまだ胸を打つ。

「先生,ちょっと話を聞いてくれませんか。きのう,私は夜勤で詰所にいたら,病室でだれかが話してる声が聞こえるの。だれがこんな遅くにしゃべってるんだろうと思ってそっと病室をのぞきに行ったら,それがNさんなんです。Nさん,ベッドの上に坐りこんで,最初は私,あれかと話しているのかと思ってたらそうじゃなくてひとりでしゃべってるの。しばらく耳を傾けて何かをじっと聴いているようにしてるかと思うと,何かに答えるようにいろいろしゃべってたから,ようやく幻聴と会話しているんだなってわかったんです。」
(中略)
「……でも,きのうひとりでしゃべってるNさん見ていて感じたんだけれど,あんなに真剣な顔をしてるNさんを見たのも私はじめてだった。いつものNさんはそりゃたしかによく仕事もするし,人づきあいもいいけど,なにかつまらなそうな顔して,なんていうのかなあ,どこかに本当のNさんを隠して生活してるみたいに思えたことがあったの。そんなNさんにくらべたら,とても変なんだけど,きのう見たNさんはともかく本心をさらけ出しているよ言う感じがしたなあ。だけど,しばらくしたらNさん,私に気づいたらしくって,はっとしやようにこっちを向いて何かバツがわるそうにニヤッと笑って寝ちゃったの。そのときのNさんはいつもの硬い表情に戻っていて……。それ見たら,私,何ともなくわびしいような気がしたんです。」
小澤勲:反精神医学への道標,p.14-15,めるくまーる社,1974.

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top