吉祥寺

昼前に実家を出て,武蔵境まで行く。徹が武蔵小金井と国分寺の中間あたりに住んでいたころは週末,このあたりをうろついたものだけれど,当時から20年以上経っている。景色が変わっていないほうがおかしい。いや,震災後,何回か武蔵野日赤まで歩いた記憶がある。記憶はあるのだけれど,それは駅と病院の距離を縮めるための記憶だから,ないに等しい。北口の記憶が鮮明なのはどうしてだろう。

駅前の図書館で仕事関係の講演を2時間ほど聞き,吉祥寺で家内,娘と待ち合わせ。

吉祥寺というと,20年ではもはや足りないくらい前に,よく出かけた。バウスシアターは閉館だというし,羅宇屋がなくなってからは20年近く経ったにちがいない。駅から井の頭公園口あたりのごみごみした感じは変わりないものの,記憶に重なる店は古書センターとRARE,むげん堂あたりの数軒くらいだ。伊勢屋の隣の喫茶店もなくなってしまった。駅から丸井に抜ける道の2階にあった中華料理店は,義理の祖父がしばしば通っていたと聞いたものの,そこも数年前に店を閉じた。

紀伊國屋までしばらく歩いて買い物をし,羅宇屋で夕飯,タイミングが合えばベリーダンスやガムランを見たり聞いたりできた。これは平成のはじめの頃までの話だ。週末になると,ジョン・ゾーンや吉田達也のライブがあり,昌己や徹とよく出かけた。

ユザワヤのビルがアトレみたいな駅ビルに変わっていて,アトレが2軒もあってどうするのだろうと感じたのは,ここ数年で駅の動線がかなり変わってしまったことに追いついていないからだと思う。それにしても。7階の書店で『いちえふ(1)』を買い,家内と娘が買い物をしている間に読み終えた。このマンガもなんだか最近の吉祥寺っぽい。

夕飯はアトレの地下で軽く済ませた。「ロンロン」という駅ビル名はどうかと思うけれど,それにしても,そこらじゅうに増殖する「アトレ」よりはましだ。いっそのこと,「ロソロソ」とでも名付けたほうがよかったのではないか。 大泉学園に住んでいた当時は,家内と連れ立ってときどき,バスで吉祥寺に出かけてきたのだけれど,いったい何をしにきていたのだろうか。前進座近くの親戚のうちに出かる用事があったことは別にして。

ただ,吉祥寺に住んでいたならば,こんな変化は感じないに違いない。

写真は羅宇屋の跡。シャッターの奥,階段を降り右手に店があった(1993年「ぴあmap」掲載の地図を追補)。

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