1979


『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』のなかで,斎藤環が微妙に時系列を調整して,オタク第一世代が政治的だと話すくだりがある。そうでもしないと東の思い込みから先に進めないと考えたからだろうけれど,少なくとも10代のオタクに政治的な振る舞いを期待すること自体,いったいどこの話だろうかとなるのが関の山。

過去について,東浩紀の思い込みの見当違いさ加減はさまざまな諍いを生み出してきたように思う。笠井潔や大塚英志との対談を読むと,同時代への焦点化は確かなのに,ひとたび自分が生まれる前の話になると見当違いな断定に走る。致命的に想像力が足りない。

だから東浩紀が語る1970年代のオタクは,かつてどこにも存在しなかった想像の賜物として理解しておいて間違いはない。それは北田某とか,若い世代の論客に共通する欠陥だろう。にもかかわらず,その時代を視野に入れて何かを語ろうとするから,さまざまな軋轢を生むのだ。

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