赤い公園


アルバム“猛烈リトミック”のラストの曲“木”は,以前に記したように,よいときのバンシーズにさらに磨きをかけたような曲・演奏で,iPodに入れてからしばらくはこの曲ばかりリピートしていた。事前にネットで情報を得ていたので驚きはなかったものの,ライブが“木”からスタートすると,いきおいテンションは上がる。

ライティングだけの演出をシンプルと形容してしまっては,バリライト華やかりし頃のジェネシスはシンプルだったのだろうか? とたとえに出てしまうのは,半世紀も生きているのだ,しかたない。ビデオもオブジェもないステージ上で,強烈なライティングの下,メンバーの演奏はおそろしく安定している。特にボーカリストは,それこそ芯のようなものを入れ込んだのではないかと疑ってしまうくらいに危なさを微塵も感じなかった。他の3人に比べると危うかったこれまでとは別人だ。
レッド・ツェッペリンの楽曲でボーカリストがかかわる時間は1/3にも満たないので,ステージ上,手持ち無沙汰だったというような ロバート・プラントのインタビューを読んだ記憶がある。赤い公園のボーカルも,これまでは似たようなものだったのだけれど,この日のステージ上では,唄っていないときの存在感も自然で,にもかかわらず欠落するものが少ない。何があったのだろう。

“のぞき穴”“塊”をのぞくと,演奏されたほとんどが新譜の曲。津野米咲は,これまでのようにキーボードとギターを行き来することなく,ギターに専念している。 キーボードパートが欠かせない曲はデータでまかなうので,いきおい尺が決まってしまう。サポートでキーボード入れてフリーに奏でるライブがあってもよいかもしれない。

その反面,ギターはこれまでにも増してフィードバックやノイズとコーラス・フランジャー系のきれいなエフェクトの対比が強烈だ。

新譜では“108”のリズムと“ひつじ屋さん”がまあ見事だった。特に後者は,フロアも盛り上がる。“ひつじ屋さん”で盛り上がるのだったら,P-MODELの“カルカドル”だって盛り上がる可能性かもしれない,ジョン・ゾーンだって……などなど,断片的な印象が積み重なる。

後半の曲は少しミスが目立ったけれど,モニターがもはや機能していなかったのかもしれない。それくらいの歓声だった。

本編ラストは,これまで通り“ふやける”。ドラムといい,ギター,ベースといい,“呪々”の頃のバンシーズ(こればっかりだ)がプログレに横恋慕したかような曲で,いやすっかり楽しくなってくる。

アンコールは,文字通りサービスのようなもので,それはそれで贅沢。

このバンド独特のリズム解釈を堪能したライブだった。

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