フィルムノワール


『THE WRONG GOODBYE』が刊行された10年前は,ブログを検索し,ある程度まとまった分量のテキストを通して,他人の感想を読んだ記憶がある。私が当時,借りていたレンタルサーバで立ち上げたブログのようなものでも,あれこれ記した。その痕跡はLogを遡れば現れる。その10年前近く,『あ・じゃ・ぱん』刊行の頃は,素人のサイトを外して,プロの書き手の文章を辿り,評価を読んだはずだ。

ネット環境に船出した当時の,どうしてプロの文章を探して辿ろうとしたのか,もはやかすかな記憶しか残っていないその感覚をときどき思い出す。素人の膨大なテキストを目にする機会など,それまでなかったのだから,おのずと慣習に従っていただけだろうけれど,プロの書き手の文章を探した徒労は忘れられない。たぶん,この世のどこかに正しいテキストが存在しているはずだとでも勘違いしていたのだろう。ただ,その後20年近くを経て,正解かのような装いのテキストに容易くたどり着くことができる環境のなかで,比較するはずのみずからの感覚がプアになっていはしまいかと,誰かに囁かれたように感じることがある。

『フィルムノワール/黒色影片』を読み終え辿ったのはTwitterだ。確かにキルゴア・トラウトだ。ナイス・ナイス・ベリ・ナイス。

もう一度読み始めて,日本でのドタバタのなかで,玉田真理亜の兄の名前が登場していたことに気づく。FBに書き込みなどするのではなかった。まだ,香港で誰も死んでいないあたりなので,銃の音について不明。

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