中学時代のこと。定期試験前になると,特に社会科は試験範囲のなかかから友人と問題を出し合った。もちろん感覚としては,なぞなぞを出し合っている以上の志の高さなど何一つなかった。
休み時間になると,机のまわりに集まってくる。地理の対策と称して,とりあえず地図帳を広げる。出題者は,できるだけわかりづらい地名を問題としてノートに記す。他のものは,競い合って地名を探すのだ。
回数を重ねるほど,いきおい回答時間は早まる。さすがに工夫の使用がないと思った頃のことだと思う。関西圏の地図を広げ,友人の一人がノートにこう記した。
山甲
私たちは血眼になって「山甲」を探すものの,一向に見つからない。休み時間が終わろうかという頃,ようやくピンときた。
「これ“岬”だろう」
私がいうが早いか,友人が“岬”という地名を指差す。
「きたないな。岬じゃないじゃないか」
「誰も山甲なんていってないぜ。君たちが勝手に山甲って読んだんじゃないか」
新本格化以降の推理小説,メタフィクションを読んで感じるのは,“岬”を“山甲”と書くような技法だ。一度は何がしかに楽しみはあるものの,それは続きはしない技法だ。