ノロウイルス

母親は,味噌汁にまで入れて出すので,子どもの頃は牡蠣が嫌いだった。お椀のなかの牡蠣は白菜と相俟って,少し鉄の味がした。

その頃,父親は,牡蠣を酢醤油で食べていたような気がする。それは酢味噌で食べるさらし鯨と同じく,どうにもふつうの食べ物とは思えなかった。特殊な郷土料理か何かのように感じたものだ。

夕飯にグラタンが出てくるようになったのは1970年代の半ばだっただろうか。そこには牡蠣とホウレン草,玉葱が入っていた。グラタンに入った牡蠣は旨かった。そのころになってようやく私は牡蠣が食られべるようになった。

ニューヨークのグランド・セントラルで,はじめてオイスター・バァに入ったのは10年ほど前のことだ。図書館でネット検索用のプラグを差し替えてメールをチェックに行った帰りだったと思う。携えていったパールホワイトのPrius AirをiBookを間違えられた記憶ばかり鮮明で,旨かったかどうかは記憶にない。数年後,丸の内のオイスター・バァにも出かけたものの,やはり飲んだワインの記憶が勝っている。

40歳を越えた頃から,牡蠣フライをよく食べるようになった。ただ,外食のときに食べるとなると,両手で足りるくらいの回数かもしれない。だから,その日,素人料理に毛が生えた程度のその店でなぜ,牡蠣が入ったミックスフライ定食を頼んだのか,その理由が自分でわからない。

それでも24時間以上の間,変調をきたすことはなかった。それが食後40時間を経た早朝4時。突然に腹痛と嘔気が襲ってきた。寝ていても自覚するほどのそれは強烈だった。尾篭な内容になってしまうが,トイレに駆け込むと数分後には排泄物はほとんど水様のものと化した。かならずしも身体が丈夫とはいえない私だけれど,あのような状態に陥ったのははじめてのことだった。一度,寝床に戻ったものの,しばらくすると強烈な嘔気が戻ってきた。面倒な気持ちが先立ち,吐くのは何とかできないかとトイレに座り込んだもののかなうことはなく数分間を堪えた。

子どもの頃,自家中毒に罹った(というか自分で体内に毒を生み出すのだから,自家中毒を起こしという表現が適切かもしれない)。数十年振りに当時を思い出すかのようなつらさだった。

眠りは浅く,身の置きどころはない。枕を高くしたり,家具を台にして足をあげたりしてもそれを楽に感じる時間はしばらくの間だけ。今度は子どもの頃,熱発したときの記憶が蘇ってきた。

自制心のような何かだけは残っている。あれだけ出したのだから体内に水分が足りないに違いない。キッチンへ行き温湯に水を加えて戻ってきたものの,体内に入れる気分ではない。枕元のラジオをかけるとFMではミサ曲が流れている。こんなとき,ミサ曲でも身の置きどころないつらさを取り除くことはできない。寝ては覚め,覚めては寝の時間が途切れ途切れに重なっていく。

食後50時間あたりまでは,回復の兆しはなく,同じような時間が続いた。

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