大塚英志


大塚英志編『「私」であるための憲法前文』(角川書店)の解説にはこのようなくだりがある。

「ことばを交すことを放棄したアメリカの態度や,あるいはそれこそ一切のことばを尽くすことなくアメリカを支持した日本という『国家』の姿を見る限り,そ して実際に始まった戦争という現実を前にしてしまった今,ぼくたちは『ことば』の無力さを感じ打ちひしがれた気持ちを抱いてしまいがちだ。ヨーロッパでも アメリカでも反戦の声は上がったが戦争を阻止できなかった。この国で反戦運動がもう一つ形にならないのはのは,声を上げることの無意味さや無力さの中に諦 念する人々が少なくないからだとぼくは感じる。けれども同時に,多くの人々の胸のうちに今もなおあるのは,しかしそれでも話し合うことで何とかならなかっ たのか,という思いのはずだ。

何とかならないから力を行使したのだ,というアメリカの論理に対し,しかし,にも拘わらず,やはりことばを尽くすという選択はあったはずだというやり切れない感情をぼくもまた抱いている。だからこそ,ぼくは,私たちがアメリカのイラク攻撃をただニュース映像で見るしかない状況下で,それでも多くの人が秘かに感じているはずの『やはりことばを尽くすべきだった』という根源的ともいえる『ことば』への信頼をこそぼくたちの他者への態度の出発点にすべきだと考える。」

同書,p.387-388.

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