「散歩の達人」10月号「神田・神保町特集」の大衆中華のページを読みながら,思い出すのは,すずらん通りの中古楽器屋の隣にあった店だ。このサイトに何度か記したことがある,ラーメンにはキュウリが入ってい て,食べるたびに火傷した塩味の中華丼。いつも店主と喧嘩し辞めると連呼したフロアのおばさんは,いつの頃からか客に食べ終えた器を持ってこさせるようになった。それが嫌で足が遠のいたことも以前,記したと思う。
「今日でおばさん,最後だけど」
その場にいったい何度居合わせたことだろう。にもかかわらず,しばらくして暖簾をくぐると,結局,見慣れたおばさんがいる。初めてすずらん通りに足を踏み入れた1975年から10数年はいたんじゃないだろうか,あのおばさん。
結局,おばさんが辞めるより先に店が畳まれた。というと語弊があるけれど,つまりは地上げを食らったような店のしまいかただった。だからそれは,ちょうど町の様子が変わり始めた頃のことだ。1階と地下だけで,十分時間が潰せるくらい書泉グランデが面白かった当時で,暇になると神保町に足を運んだのは昭和60年代の終わりまでだった。
平成の始めに,神保町界隈が非道いことになり,その後,ますます非道いことになった。東京堂書店が一人,気を吐いていた頃だ。それも続くことがなく,非道い町の様子が風景に溶け込んできたのは,ようやくここ10年くらいだと思う。
最近,ときどき神保町に出かけるものの,書泉グランデの棚の非道さばかりか,三省堂,東京堂書店にも入ろうとは思えなくなって久しい。古本屋を何軒かのぞき,白山通りのあたりを冷やかして帰ってしまうのがせいいっぱい。どうにも按配がちがうのだ。