夜と霧の隅で


「少なくともヨーロッパ人はずっと戦争というものを知っている。国境を,民族を,征服することと征服されることとを知っている。その点日本はどうなるのであろう。万一負けたとしたら,我々はその事態に対処できるのであろうか。」

「一人の医師として,気の毒な患者さんたちの生命が不要な廃物のように篭に投げこまれてゆくことを傍観したくはなかった。しかしSSの命令を同時に彼は知っ ていた。一人二人の生命を僥倖によって救ったとしても,それはほんの正面の戦線をむなしく死守するようなものではないか。そうした絶望的な状態を反芻しながら、ケルセンブロックは建物の前だけきれいに雪のかきのけられた舗道を辿っていった。もう駅は遠くなかった。」

北杜夫「夜と霧の隅で」

「建物の前だけきれいに雪のかきのけ」る所作を象徴的に用いた北杜夫のレトリックと村上春樹のそれを比べてみる。

「ごみ集めとか雪かきとかと同じことだ。だれかがやらなくてはならないのだ。好むとこのまざるとにかかわらず。

僕は三年半の間,こういうタイプの文化的半端仕事をつづけていた。文化的雪かきだ。」

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

村上春樹の「文化的雪かき」は中途半端だな。

 

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