半世紀も生きてくると,記憶と事実の食い違いがさまざまに生じてくる。
この前も書いたけれど,初めてキング・クリムゾンのライブを見た渋谷公会堂。ここ20年くらいは1981年12月7日だと思い込んでいた。ところが先日見つかったチケットをみると12月9日と記されている。
昨日,学生時代の友人たちと池袋で飲んだときのこと。喬司が「卒論発表のとき,寝坊して行かなかったからなあ」という話になった。
「あの,鼻歩類の卒論か」私と昌己が反応する。
「なに言ってるんだ,鼻歩類は一部だよ。卒論のテーマは違うぞ」
「“進化の異端児・鼻歩類”っていうのがタイトルじゃなかったっけ?」
「善悪についての卒論だよ」
まったく知らなかった。こ奴が善悪を語るなんて。
「ニーチェみたいだな」
「いくらなんでも鼻行類だけで卒論書けるわけないじゃんか。悪と言われているもののなかに善があるんじゃないかってのがテーマだったんだよ」
あの日,喬司は出てこない。徹と裕一は共同発表とは名ばかり,かけあい漫才のようなことをしていた。でも,卒論はそれぞれ提出したはずなのに,なんで漫才していたのだろう,あの二人は。
私と昌己,伸浩は普通の発表だったけれど,テーマはキッチュだとか奇矯,自殺だし,暗いったらありはしなかった。
「30年目の卒論発表会やりゃいいんだよ。教師も乗ってくるよ」昌己が言う。カセットテープやマンガ原稿といった先輩のものとともにゼミ室に卒論は残っているはずだ。
記憶というのは現在をもとに規定されるというから,あの頃,たぶんそう思い込む何かがあったのだろうけれど,もちろん覚えていない。