この店は,煙草を御婦人にしか売らん気だぜ!


 克哉は憤然とした面付きで席をたった。 短いピースなんて置きがあるわけはない。セブンスターかハイライトだけですと言う,ウェイトレスの生返事に,
 「フィルター付きばっかりだってさ」と無遠慮な声を残し,通りへ出て行く。
 「この店は,煙草を御婦人にしか売らん気だぜ! 翎」
矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』

ずっと気になっている言葉についてSNSで呟いたとき(もちろんTwitterだ),「この店は,煙草を御婦人にしか売らん気だぜ!」という一節を思い出した。

編集の仕事に携わって30年近くになるというのに,自分がつくる本を“よい本”だと一度も思ったことはない。“面白い本”“好きな本”“気に入った本”ばかりに手を染めてきた。これは以前に記したはずだけれど,出版は博打のようなもので,決して健康優良児がそのまま世に出るための器でもなんでもない。誰にも頼まれない本の企画を立て,つくり,書店に並べてもらう。最近ではそんなつくりかたはしなくなったけれど,マーケティングリサーチよりも,自分が気に入ったからのほうが優先される時代は長く続いた。

PTAに推薦され,全国の学校図書館に並べられるための企画で食べて行く出版社だってもちろんある。そういう企画を立てる編集者だって少ないとはいえない。

ただ,好き勝手続けながら,それで生計をどうにか立ててきたのだから,今さら「それは甘い」「そんなことでは社会で通用しない」とは言われる筋合いはないというものだ。誰かに何かを言われたわけでない。ただ,世の中に“よい本”という言葉が行き来するのを眺めるにつけ,居心地がよくないのだ。

年数回出店しているだけで物言うことは憚られるが,たぶん古本屋店主の立場となると,少し違うのかもしれない。それで食べていくには“よい本”があると思うことから始め,そこから不特定の他者とのつながりが生まれるような気がする。自分が好きな本を並べるだけでは生業にはならないだろう。

書店もそれに近い感覚なのだろうと想像する。(つづけるかもしれません)

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