検索

インターネットを通して,なにがしかの情報を検索するようになったのは1997年頃からだった。

1995年の春先,チームで抱えていた大部な本の編集は佳境に入った。ゲラは出揃っていたので,引用箇所や細かな用語について文献と照合したりイラストのチェックが,そのころのおもな課題だった。当時のリーダーは何をとちくるったのか,その週の金曜日は徹夜して編集の山を乗り越えよう,と宣言した。

当日の夜。わけもなく,おにぎり屋で全員,夕飯を済ませた。リーダーは夜食用にと人数分を越えるおにぎりを包ませた。22時過ぎあたりまでは,会社に残った分だけ仕事は進んだ。その頃,22時,23時あがりが決して少なくなかったので,進んだ分は予定通りだ。

22時過ぎのこと。私が担当した項目には不明な箇所が散在したままだった。チェック箇所を1つ潰し2つ潰しして,あるイラストが残った。引用文献はコピーで,原稿を確かめると,コピー元にも引用文献が明記されている。孫引きだ。原典を追いかけなければどうしようもないにもかかわらず,もちろん事務所に図書館並みの蔵書を望むことはできない。

「これ,孫引きですね」私はリーダーに囁いた。そろそろ眠気と疲労がたまる頃なので,そんなことで神経を昂ぶらせたくなかったのだ。すると,別のメンバーが同じように原典をたどらなければならない箇所を持ち出してきた。気合だけで徹夜しようだなんて,体育会系なノリで始めるから,こうなるのだ。

まだ,終電に間に合う時間だった。リーダーは,著者からの原稿のなか,新田次郎の『八甲田山ー死の彷徨』を通してマネジメントの必要性を分析した内容を編集した経験がある。しかし,悲しいことに,そうした経験は所詮,他人事なのだ。夜食用のおにぎりにまだ手をつけていない。もしかしたら土曜日の午前中,様子を見に社長を出社するかもしれない。優先されたのは,そうしたことだけだとは伝わってきた。

「もう少し調べてみて」

その「もう少し」は終電時間を過ぎた時間であることも伝わってきた。

検索に思いを馳せるたびに,あの不毛な徹夜のことを思い出す。(繰り返しの記録になるものの,つづきます)

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