おともだち

父親が亡くなる少し前,とてもいやな出来事があって,直接関係ないにもかかわらず,以来,那智くんと連絡をとらないまま数年が過ぎた。

その数年前,那智くんはT3でつくった音源にかぶせるため,私の家でギターを弾いてくれた。仕事の関係で20年くらい前にはじめて会い,10年くらい前のしばらくの間,同じ職場で仕事をした。当時のことは書いたように思うので繰り返し記すのはやめよう。

1か月くらい前,那智くんからメールが届き,そのうち飲もうということになった。理由は知らないが那智くんは数年間,アルコールを断っていた。同じ職場にいた頃は,その真っ只中だったので,酒を飲みに出かけた記憶はない。最近はビールだったら付き合い程度に飲むというので,先週末,池袋西口のアイリッシュパブで待ち合わせることにした。

もともと音楽の趣味に共通するところがあったし,仕事も近い領域だ。外注をお願いしている人も重なっている。話題には事欠かない。そんな話をしながら,那智くんも気になっていたのか,いやな出来事のことも出たけれど,いまさらどうでもいいなあという感じで話を聞いた。

付き合い程度というのがどれくらいなのかわからない。付き合い程度の那智くんは1パイントを5,6杯飲んで,ほとんど変わらないのだから,私が先に酔っ払ってしまった。

高田馬場で別れた後,北山修が友人について話したことを思い出した。

「ぼくがこんなにあいつのことを思っているのだから,あいつも同じくらいぼくのことを思ってくれているに違いない」と「ぼくはこれくらいしかあいつのことを思っていないのだから,あいつもこの程度しかぼくのことを思っていないだろう」の2つを例に出して,北山さんは後者よろしく,友人に過度の期待をもたないようにしてきたと,何の話だったかはすっかり忘れたものの,そこだけは印象に残っている。

「珍来」を書くために,記憶を整理していると,あの居心地のよい4年間は奇跡のようなものだったなあと,30年経てそう思うのだ。翻って,過度の期待をお互いにもたない友人との出会いは,大学時代以降,結局,なかったことを感じた。社会に出てからの人間関係は損得利害がどうしても絡んでしまい,そこから一歩飛び越えられない。たぶん,私もそうなのであって,だから出会った人一人ひとりは私がするように私に対応するのだ。

ただ,家族ができたことをのぞいて。

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