アマ☆カス

彼が本棚から取り上げたのは,家庭用のVTRテープだった。
「陣ちゃん(陣内尚武)の映画です。『大戦団』,――陸軍がオクラにしちゃいましたからね。世界でも,見た者は五十人といないはずです」

(↑第18回,↓第19回)

窓からは戦場が見えた。
しかし,暗い土造の一室に穿たれた銃眼のようなその窓は,あまりに小さく,カメラは,絶えずそこにのぞける光景を意識しているくせに,決して寄っていこうとはしないのだった。
おまけに,戦場は遠く砲声はもっと遠い。敵兵の姿はどこにもない。

(中略)

「師団本部! 師団本部を呼べ!」
電話に叫んだ。
開巻以来ずっと,彼はたった一人,この室内をうろつき回り,せわしなく煙草を吸い,電話をかけまくり,窓の外,戸の外,実際には見えない伝令兵に檄を飛ばしているだけだった。
矢作俊彦「眠れる森のスパイ」(1985)

桐郷の第一作は,“銃眼”というタイトルで,舞台は最初から最後まで,あるトーチカの中に限られていた。九二式重機関銃を一丁据えただけの小さなトーチカの中で,連隊長が電話をかけまくり,伝令を飛ばし,無線に叫び続ける。トーチカの銃眼からのぞける外の世界では,昼も夜も延々と戦闘が続く。
矢作俊彦「アマ☆カス」(2016)

矢作俊彦の「アマ☆カス」後編掲載されているはずなので,週末,用事に出かける途中で「小説トリッパー」を探すため伊野尾書店に行った。直前のネット広告は特集の案内が中心で,連載の情報までは掲載されていなかった。小説家のツイッター上の投稿を見ると,脱稿したのかどうかあやしい。

棚で見つけすぐさま目次を開くと,最後の最後に名前を見つけた。初手から脱稿を危惧して連載最後に台割していたのかもしれない。そのままページを捲るとかなりのボリュームで掲載されていた。

「アマ☆カス」はもともと,「百愁のキャプテン」として「論座」誌上に2001年から連載が始まり,一,二度の休載程度で完結したものだ。連載終了の翌年,新年の朝日新聞出版局広告に『アマ☆カス』のタイトルで刊行が予告されたものの,それから10年を過ぎ,いまだ単行本として纏まっていない。

以前書いたとおり(最近,こればかりだな),同誌には同じ時期,河合隼雄の「ナバホへの旅 たましいの風景」や山本一力「欅しぐれ」が連載されていた。何でそんなことを覚えているかというと,「百愁のキャプテン」の連載分を読み返すと,扉や最終ページの裏側にこの2作が載っているからで,その後,新古書店の100円均一棚(文庫)で,同じくこの2作を目にして何度か途方にくれてしまったことがある。こちらは連載終了早々,単行本化され文庫本になり,新古書店で売られ,あげく定価の半額どころか100円の棚に並べられるのに十分な時間を経ているのに,一方,「百愁のキャプテン」はといえば,いまだ単行本刊行のアナウンスさえ聞こえてこない。世界一周の旅早々に浦賀水道あたりで右往左往しているようなものだ。竜宮城を過ごすことなくコールドスリープのままの浦島太郎なんて悲しすぎる。

ただ,同じような目に逢って後,刊行されたいくつかの小説・エッセイが,経年劣化の軋み音を発することなく,時代を超えて読まれていることを思うと,悲しむよりも目覚めのときをただ待ち望んでしまうのだからやっかいだ。

「小説トリッパー」に連載(といっても前編/後編の全2回)された「アマ☆カス」は昭和20年8月20日の数分間のなかに甘粕事件から満映までを映画のようにカットで繋ぐ。マンガでは晩年まで石森章太郎が試みた手法で,小説ではトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』と伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』などが浮かぶ。「小説トリッパー」掲載だけで終わるとは思えないから,今度こそは単行本化されるのだろうけれど,「百愁のキャプテン」は1,000枚を超す長編だ。連載の形(映画を観ながら,さまざまなエピソードを回想していくもの)では纏めないのかもしれない。

矢作俊彦の小説「眠れる森のスパイ」に登場する映画監督でありシュルレアリストの陣内尚武という架空の人物がいる。小説のなかで彼が戦争中に撮った映画の描写がある。同じ映画が今回,別のタイトルで紹介され,その作者は「桐郷」という名でアマカスの前に現れる。「桐郷」というと,『フィルムノワール/黒色撮片』の裏の主役とも言える映画監督と同姓で,キルゴア・トラウトに由来すると小説家本人が語っている。本意はわからないけれど,“遊び”ではなく,自らの小説を「人間喜劇」になぞらえようとしているのかもしれないなどと思った。

で,何を書きとめておきたかったかというと,「アマ☆カス」前編/後編とも,「百愁のキャプテン」の原稿がかなり使われている。ということは,一度書いた原稿で2回,それも同じ出版社から原稿料をせしめているということで,そういう久生十蘭のようなこの小説家の姿を,誰かきちんと残してほしいのだ。

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