公開書簡フェア


時間になった。

絲山さんを真ん中に「公開書店フェア」に参加した10書店のうち,6書店の書店員さんが登壇。どのような進行になるのか参加者も手探りの感じで始まった。フェアの経緯,手紙の内容などを中心に,まるで,その場にいることを承認されるかのような和やかな雰囲気でやりとりが続く。

交わされた言葉が再び,ここでもあり,どこかでもある棚に並ぶことを夢見て,メモを取ろうとなど思いもしなかったので,流れに身をゆだねるのみ。いちいち感覚を止めて記憶にとどめるなんて,もったいない。

それでも絲山さんの「棚は売り上げを出す場だから」という意味合いの言葉が強烈な印象だった。物見遊山よろしく高円寺に出かけてきたものの,そのあたりどんなふうに切り分けているのかとても興味があったのだ。

手紙はとてもパーソナルなもので,それを「公開」前提で,売り「場」に置いて共有する。手紙を書く「私」は職業としての書店員なのか,仕事を抜きにしての「私」なのか。フェアで読んだ手紙はそのあたりよくも悪くも虚実皮膜という感じがした。参加してみて結局は,それぞれだな,というのが実感だ。ただ,仕事と私をきちんと区切らなくても書店での仕事が成立しうることを皆さん,身をもって示してくださった気がする。もちろん個人が担うべき責任だけで「場」の持続性を保証することなどできない。それでも,なお。

「ベストセラーばかりを並べる」⇔「ベストセラーは並べない」という天秤から降りて,「売り場」で利益をあげる可能性を探る。ならば買う方だって,スズキさんよろしく「この書店ではメルセデスが手に入る。あの書店で売っているのはベンツだ」という面白がり方をしてもよいはずだ。体力をもって物を手に入れる愉しみを逃す手はない。

場だから,動き,体験が生まれる。そのただ1つが場の一生でいちばん美しい体験だなどと,他のだれにも言わせまい。

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