ラジオ

高校1年のときだったと思う。友人と夜行電車で椛の湖に出かけたことがある。夜中の0時に新宿駅から発車する中央本線に乗った。11時半前から,ホームではなく階段を降りたところに列をつくり,順番に車内に入った。テントと飯盒に毛布を抱え,寝台車ではないその電車の座席に体を伸ばして眠ったことは覚えている。

坂下だったかの駅から,しかし,どうやって椛の湖まで辿りついたのか記憶にない。たぶん担いだまま歩いたのだろう。友人との気まずい沈黙と,わけのわからない疲労感は思い出すことができる。

「いこまいかピクニックコンサート」の3回目くらい。ダウンタウンブギウギバンドが出たかどうか,そのあたりは確認しなければわからない。自切俳人とヒューマンズーに杉田二郎,高石ともやとザ・ナターシャセブンが出たことは確かで,この年からヒューマンズーのステージに力が入った。

会場にはフリーラジオ放送が流れていて,そのDJは自切俳人=北山修が担当していた。

その頃,自切俳人の番組はKBS京都の「サバイバル宣言」という30分のものくらいしかなかった。どこで得た情報をたよりにその番組にたどりついたのだろう。昭和50年代に固有名詞からの連想で,必要な情報につながることがしばしばあった。たぶん私の世代が固有名詞に弱い(こだわってしまう)のは,あの頃の情報の得方と関係がある気がする。

その番組は変則的な放送で,週の前半/後半だったか,隔週だったで岡林信康と交互の登場した。アルバム「ストーム」のプロモーションのため岡林がゲスト出演したことを思い出す。やりとりまで記憶に残っているのはたぶん毎回,エアチェックしていたのだ。KING CRIMSONが復活するまでの数年間,大学受験が迫ってくる(迫っているのではなく)というのに,ラジオとロックとマンガ,加えて小説にどっぷりと嵌っていた。KING CRIMSONが復活してしまったのは受験前の秋で,もちろん翌年の受験は散々な目に遭った。自業自得だ。

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