宵々山コンサート

「いこまいか」に先立つ数年前から,京都の円山公園で毎年,宵々山コンサートが開催されていた。永六輔さんについて,だから旅番組に出てくる文化人っぽい人という漠然とした印象が,もう少し具体的になったのは,宵々山コンサートを通してだった。企画は永六輔さんと高石ともやさんが主に担っていたようなのだけれど,この二人がどこでどう繋がったのか今となっては興味がある。

当日の演奏からピックアップした2枚組みのアルバムが数年にわたりリリースされた。そこには永六輔さんの前口上や,淀川長治の講演,おすぎとピーコの歌などというものも収録されていた。ライナーノーツも読み応えがあり,当時のアルバムはその可能性を目いっぱい広げて企画リリースされていたことを思い出す。

昭和50年代末に宵々山コンサートが終焉を迎えてから,医療系出版の仕事に携わるまで10年くらい間がある。10年後に目にした永六輔さんは,マルセ太郎の芸を再評価した人として現れたり,地方で地道に活動する医療者を応援する人として現れたりした。ただ,中・高校生の頃は感じなかった匂い――小林信彦と同時代で,放送関係で一世を風靡した人に共通するのだけれど――が得意でなかった。横目で覗くくらいで,じかに話す機会はなかった。そのことを残念に思いはしない。

このところ,永さんの最後を看取った看護師さんたちと仕事をしていたところだったので,少しだけうかがった。実に見事な最期だったそうだ。

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