感想「シン・ゴジラ」

感想「シン・ゴジラ」
感想「シン・ゴジラ」

『ヤマト』のセリフを覚えていることって,すごく今役に立ってます。専門用語を羅列するのに,僕はなんの苦労もないですから。そういう単語がバーッと出てくる。波動砲の発射過程だけで二分。大砲を打つだけで二分も描写があるんですよ。五話のときには。

あれがいまでも役に立ってます。自分のことを僕は『ヤマト』の正統な後継者だと思っている部分もあるんですが(笑)。
監督 庵野秀明ロングインタビュー,クイック・ジャパン,Vo.9,1996.

「シン・ゴジラ」を観ての感想は,結局のところ,この2冊からの引用で済んでしまう。

リアルを求めるというのは,多分インターネットの普及と無縁じゃないでしょうね。ネットの中に転がっているリアルって,リアルでもリアリティでもない。最近の若い作家はリアリティが上手だっておっしゃられたけれど,彼らのリアリティはどこまで突き詰めても身体性には行き着かない。いわゆるネット的なリアルなんですよ。

例えば『踊る大捜査線』で描かれる警察っていうのは,それなりにリアルなんですよ。あれが出てくるまで,日本の刑事ドラマなんて神奈川県警の警官が東京で捜査するみたいなデタラメなものだったんだけど,あれはその点よくできてる。所轄署に管理官がやってきて捜査本部ができると,所轄の人たちはお茶汲みばっかりやらされるとか,そういう瑣末なリアルはちゃんとしてるんです。で根本的なところ大嘘をつく。それがさっきから言ってるリアルの正体だと思う。ただ,そのリアルがあれだけ客に受け,大金を稼いでいるわけですからね。

大友(克洋)の場合,身体から離れることが彼の芸術の一つの重要なモチーフだったんだけど,ほかの作家は単に才能がないから身体からフワーッと離れてしまう。彼らは安易な表現として,さっきから言っているリアルを振り回す。だからストーリーが衰退するんです。人間のドラマがどんどん衰退していく。
矢作俊彦vs安彦良和,月刊ガンダムエース,2003年11月号

別の対談(藤原カムイとの)で,押井守を称して,彼は一貫して警察行動を描くけれど,戦争は描かないと語っている。「シン・ゴジラ」に通底する押井守感は,つまりその共通性なのだと思う。庵野監督は意図的に押井守が撮ったゴジラ映画をイメージして本作をつくりあげたのではないだろうか。「シン・ゴジラ」の欠点の多くは押井作品の欠点でもあるのだから。それが巨額の稼ぎを生むことことの評価はさておき。

矢作俊彦の対談はその後,安彦良和の対談本としてまとめられた記憶があるけれど,そちらまでは手にしていないので,発言に手が入ったかどうかは確認していない。

押井守とは,ジャン・ルノワールに関する本の巻末で矢作俊彦は対談している。こちらも中古で見つけたら手に入れようと思ったまま,いまだ手に入れていない。

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