母親が末期で入院していたとき,なすすべは何もなかった。ようやく思い付いたのは宗教にすがってもらうことだ。増上寺の僧侶にメールで相談し,ベッドサイドで話をしてもらうことになった。その打ち合わせをしていた一両日の間,母親は危篤になり,結局,考えてたことは何も叶わなかった。
タイミングが悪い。
金曜日の会社帰り,家内と待ち合わせて,義父を見舞った。病室は個室に移っていて,蛍光灯は点いていなかった。鼻カニューレがつけられて,そこから酸素が入っている。先日,見舞いにきたときよりも厳しい様子に感じた。
私たちが部屋に入ると目を覚ます。ベッドをギャッチアップしてほしいというので,ゆっくりとスイッチを押す。背中に手を差し入れて,ベッドと背中の間の空気を抜いた。暖かい湿り気。起きあがって左手にした時計に目をやる。
「いま,何時かな」
「夜の7時前。様子はどう?」
「おしっこするとき痛いんだよ」
挿入されている尿道留置カテーテルが排尿のときに刺激されて痛みを感じるのだろう。
「しかたないね,うん」
「夜の薬があるので飲まないと」
袖机を探すものの,薬は見当たらない。
「ないけど」
「おかしいなあ」
「水飲む?」
「痛いからなあ」
「音楽聞きませんか」
私は今朝,Amazon プライムからダウンロードしてきたクラシックの曲を流し,iPhoneを耳元にあてた。
「これは,いい。はい,次」
そうやって数曲を聴いている様子が今も目に浮かぶ。
「明日,また来ますから。端末もってきますよ」
「そうか。今日はもう遅いから帰りなさい」
ベッドの角度を元に戻し,部屋を後にする。そのとき交わした視線が,この世で義父と向き合う最後となった。
家に戻り,Kindle Fireを探し出し,クラシックのベスト盤3枚,世界の絶景を撮影したテレビ番組をダウンロードした。でも結局,このデータを義父が耳にすることはなかった。母親に聴かせることができなかった僧侶の話とそれはまったく同じだった。