高崎

喬史は高崎に住んでいる。生まれも高崎で,途中,引っ越しをしたけれど,ここ数年は高崎から職場に通っているという。本当にそう言うのかどうかはわからないが,学生時代,彼の群馬弁をわれわれは「ん音便」と呼んでいた。撥音便の変形なのかもしれない。「行くのか?」を「行くん(か)?」,「するのか?」を「するん(か)?」,「そうなのか」を「そうなん」というように,たぶん話す方は言いやすいのだろう。言われた方は最初,ピンとこなかった。高崎というよりも群馬弁なのだろうから,われわれにとって,いまだに群馬というと「上毛かるた」よりも「ん音便」の印象が強い。

10年以上前,前橋に出張したことがある。2日目の夜,久しぶりに会おうということになって,当時,高崎に住んでいた喬史の家に呼ばれたことがある。前橋まで車で迎えにきてもらって,バイパスを使うと,数十分の距離だった。当時,すでに前橋は草臥れてしまっていたけれど,まだ高崎は廃れるところからなんとか踏みとどまっていた。「高崎のほうが都会なんだからよぉ。高崎に泊まればいいのに」。窓越しに流れる灯りは確かに前橋よりもはるかに賑やかだった。

その後,前橋に出かける用事は数回あったものの,乗り換え以外で,高崎に行くことは一度もなかった。

週末に高崎に行った。仕事の都合だったので日帰りだ。朝早くからの会だったため,行きは大宮から新幹線を使った。会場は東口から車で10分程度の距離にある大学。スクールバスから見える景色は,昔の宇都宮駅東口に似ていた。

地方の旧国鉄の駅は,当時の繁華街から数キロはずれたところに建てられていることが多い。汽車のようにうるさいものが町中に入ってこられては困るからという判断なのだろう。平成のはじめまで,だから地方の旧国鉄/JRの駅のまわりにはほとんど繁華街がなかった。駅と繁華街はバス便が結ぶ。駅前を中心に地方都市が再開発されるようになったのはバブルが弾けてからこっちのことだ。

高崎の繁華街も駅から距離がある。仕事を終え,後の予定まで時間があったので,スマホをたよりに古本屋をはしごした。古本屋は幸い,繁華街から少し外れたところにあることが多い。文京堂とみやま書店を覗くことにした。駅から十分に歩いて行ける距離にあったのだ。

文京堂は,既視感のあるつくりで,店番をしていた老人は私が店にいる間,すわったままほぼ寝ていた。杉本秀太郎『洛中生息』(ちくま文庫、カバーなし)を見つけ購入した。一区画だけ駅側に戻り南に少し歩くと,みやま書店が開いていた。こちらは大阪の古本屋に似た佇まいだ。おそろしく状態のよい夢野久作『骸骨の黒穂』(角川文庫)があった。私が高校時代に手に入れたものは,小口が焼けてしまい,読む気が失せていたのでいつかのみちくさ市に並べ,手元になかった。眉村卓『ぬばたまの…』(講談社文庫)と一緒に購入した。

帰りの車中,四半世紀ぶりに「骸骨の黒穂」を読んだ。やけに新鮮で面白い。昔,角川文庫に収載された夢野久作の作品集のなかで,この本が一番だと感じていたことを思い出した。

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