本の廃棄

週末は義父の家の片づけ。おおむねめどがついたものの,廃棄せざるを得ない本がかなりの量になりそうなので,他の古書店に買取打診ができそうなものを避けていく。

筑摩書房「世界ノンフィクション全集」は昔から読みたかったのだけれど,時期を逸して一揃いそのままになっている。収載作品をチェックすると,インゲ・ショル「白バラは散らず」が収められている巻を発見した。北杜夫が「夜と霧の隅で」を執筆する際,当時はこの本と数冊しか参考になるものがなかったと,全集月報に記していた。ネットで検索すると,未來社から単行本として1964年に刊行されているのだけれど,この全集は1961年刊だ。この企画用に翻訳が済み,未來社で単行本になったのだろう(その後,1955年に未來社から翻訳版が刊行されたことを知る)。

梶野さんは当時,フリーの編集者をしていて,翻訳本の原稿整理の依頼を通して知り合いになった。私よりいくつか年上だった。大阪生まれの阪神ファン。小学校時代,関東に転校してきたときは,大阪弁をばかにされたのだと聞いたことがある。

当時の上司が梶野さんを紹介するからというので,神保町の裏にある蕎麦屋で初めて会った。決して酒が強いわけではないのに酒が好きで,酒場で楽しいタイプだった。仕事の打ち合わせと称して,神保町のバァで飲んで以降,新大久保,高田馬場あたりで数回,遅くまで飲んだ。同業の奥さんがいて,二人で白山界隈に暮らしていたはずだ。

梶野さんは,レイモンド・チャンドラーの小説と探検ノンフィクションが好きだった。私より少し上のチャンドラーファンがあるとき,村上春樹の小説に流れたように,梶野さんも村上春樹の小説が好きなようだった。その日何軒目かだったと思う。「26日の月」に移ったときは,かなりできあがっていて,店主のことを「村上春樹の小説に出てきそうだ」などとベタな褒め方をした。早川文庫版の『リンゴォ・キッドの休日』を貸したところ,とても気に入った様子で,「もう少し借りていていいですか。返してしまうと飲む口実がつくれなくなってしまうから」と,まるでテリー・レノックスの台詞のように言われた。

酒場でする探検隊の話は魅惑的だ。「失われた湖」とか「アムンセン探検隊」とか,ある種冒険者の記録の面白さを熱弁する。教科書にさえ登場した物語を読みたくなって,文庫本を何冊か手に入れたこともある。しかし通勤の合間に素面で読む冒険者たちの物語は,それほど胸を熱くさせない。そのままになって,梶野さんとも縁遠くなってしまった。

「白バラは散らず」と「怪盗ヴィドック自伝」が入った二冊を抜き出した。翌日,もう一度棚を眺め,結局この全集はすべて残しておくことにした。

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