記憶

墓参りに行く予定を立てていたにもかかわらず,家内ともども寝坊をしてしまう。

かなり遅い朝食をとり,墓参りの準備。結局,家を出たのは15時半過ぎで,先に昼食をとってからひばりヶ丘に向かう。電車から見える西の空はどうにか陽光を抱えているものの風前の灯だ。駅に着き南口へ降りると冬の夜が訪れていた。タクシーで墓まで行き,暗いなかお参りをする。田無タワーの青さと星あかり。イオンモールまで歩き買い物。家内,娘と19時に待ち合わせることにした。安くなっていた靴を一足買い,3階の未来堂書店に入る。自戒をこめて,ときどきこの書店の棚を眺める。書店を維持していくには,このような店づくりをせざるを得ないのかと。
夕飯をとって,田無経由で家に戻った。

パソコンを立ち上げ,プラグインの検索をしながらヘッドホンで音楽を聴く。明日がデヴィッド・ボウイの誕生日だったことに気づき,途端,1979年12月末のFM番組を思い出した。明日から1980年代が始まろうとするその日,70年代の洋楽トップ10チャートが(リクエストだったと思うのだけれど)発表された。今となっては嘘のように感じられるほど,サイモン・アンド・ガーファンクルへの支持が多かった。「明日にかける橋」が1位だった。

兄貴をもつ芳弘はエルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリックロード」が1位だろうという。私たちは高校一年生だった。どちらもリアルタイムで体験した音楽じゃないのだ。「背伸びしすぎだぞ芳弘」,ひとりごちた。ビートルズは小学校に入ったときに解散していた。1970年代前半に乗り遅れた世代にとって,その日発表されたトップ10は,だから決して同時代の感覚ではなかった。NHK-FMとぎんざNOWによって洋楽体験をした私たちには,1979年時点で,せいぜい3,4年のキャリアしか持ち合わせていなかった。

いまだにその経緯を直接,聞いたことはないやっかいな生い立ちをもつ芳弘に兄貴がいたことで,たぶん何かが違ったのかもしれない。そういう友人が一人いると,たぶんそのまわりにも影響があるのだろう。彼が卒業した中学から同じ高校に入った奴らは,少なからず背伸びした音楽キャリアを披歴した。

でも,1970年代の洋楽のトップがサイモン・アンド・ガーファンクルやエルトン・ジョンとは思えないのだ。あれから40年近く経った今でもなお。

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