タンギー


寒い。関東の雪の記憶は,1月のこの時期と,3月中旬に固まっている。

この週末は家内とともに千葉の墓参り。娘は昼までのアルバイトを終えてから塾で試験官のバイトを掛け持ちするという。高田馬場から西船橋でJRに乗り換えて船橋まで。千葉の内房線沿線で降雪があったようで全体,電車が少し遅れている。シャポー船橋で昼食をとる。まわりは女性客ばかりで,かなりにぎやか。バスでお寺まで行く。

戻りのバスの時間を確認しておく。昨年までは,年始,お彼岸2回,お盆と合同でのお参りを企画し,毎回150~200名近くの参加があった関東近郊では珍しい浄土宗のお寺が,昨年後半からそうした会を取りやめた。人が集まりすぎたのか,僧侶の手配ができないのかわからない。お堂の前あたりの様子がこのところ変わってきていた。不法侵入者に手を焼いたのかもしれない。お世話になっている身とすれば,線香は無料で使わせてもらえ,とても助かるのだけれど,何がきっかけで変わったのかは知りたい。

風が少し強い。昨日までとは違い,一面をタンギーの絵のような空色だ。バスで船橋まで戻る。東武百貨店の旭屋書店で,ガワンデ『死すべき定め』(みすず書房)と「新潮」2月号を購入した。家内と喫茶店で休憩して夕飯用にお弁当を買って帰る。

『死すべき定め』「新潮」とも一昨日,高田馬場では手に入らなかった。そのことについてあれこれ考えた。

「新潮」には岸政彦の「背中の月」が掲載されている。福田和也は評論の世界に帰還した。「背中の月」を読んだ。ヘミングウェイのような文体。意味も象徴も意図しない日常それ自体になぜ意味が伴ってしまうのだろう。記憶あることのしかたのなさ。

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