死すべき定め

今を犠牲にして未来の時間を稼ぐのではなく,今日を最善にすることを目指して生きることがもたらす結果を私たちは目の当たりにした。

ガワンデの『死すべき定め』は,あと少しで読み終わる。210ページを過ぎたあたりからのやりとりは,まったく他人事とは思えない。現在をどのようにしていくか考える。そのときに参考になるのは経験をもとにした過去だろう。現在を抜きにして過去に思いめぐらせても教条主義に陥る。

あれがすごい,これもすごい,とり入れたらうまくいく。「出羽の守」を厳しく批判したのが誰だったか忘れてしまったけれど(データを検索すれば出てくるかもしれないな),いまだに出羽の守は,まあ盛んにあちこちに登場している。と,記しているそばからみずから出羽の守に陥ってしまっているかもしれないが。

以前大学生のグループから抗議を受けたことがある。いったい,この授業の狙いはなんですか。はっきり言ってください。そうすれば,わたしたちはそれにちゃんと合わせてみます。それがなくては,なにをすべきか分からないじゃないですか。わたしは思わず笑いだして,まんまとわたしの狙いにはまったな,と言ってしまった。わたしは,今,ここで,生きて体験してほしい,体験から自分で考え歩き出してほしいので,なにかを教え込んだり訓練したいのではない。「……のために」ということは,未来のために行為することで,今,をゼロにすることです,と。
竹内敏晴:癒える力,p.162-163,晶文社,1999.

たぶん,私は,この竹内さんの一文と特撮の「パティ・サワディー」の歌詞の間を,いったりきたりしているのだろうと思う。

とりあえず『死すべき定め』は,もう一度,メモをとりながら読む予定。

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