ていねいさ

午前中から健康診断。例年にくらべ時間がかかった。会社に戻り,夜まで仕事。家で夕飯を食べ,テレビドラマ「カルテット」を観る。

昨年の中頃,「ていねいさ」という言葉がやけに用いられていることに気づき,少し嫌な気分になった。これについては当時,記したはず。しばしば「ていねいさが足りない」というように用いられ,聞くたびに「雑だ」と言えばいいのにと思ってしまう。「健康さが足りない」→「病気だ」,「正常さが足りない」→「異常だ」,「音感が足りない」→「音痴だ」,たとえは違うかもしれないが,正常をあたりまえであるかのように語られると,どうにも居心地悪い。学生時代から「健康なんて除外診に過ぎない」という見方から抜け出せないためだろうか。あたりまえは決して正常ではない。

今年の健康診断は例年に比べ時間がかかった。というのは,つまり,これまでのデータを比較しながら検査が進められていたからで,検査を受けながら,「あ,ていねいだな」と感じた。

特殊な状態を示すのであれば,まだしも,「ていねいさ」が前提となっていて,その「欠如」を云々(うんぬん)言ってもしかたないと思うのだ。

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