沖縄

花粉症が非道い。午前中起きて,朝食をとったものの,たまらずにしばらくして再び横になる。午後早めに起き出し,シャワーを浴びる。家内と高田馬場に行き娘と待ち合わせて昼食をとる。1人先に帰り,部屋を片づけながらみちくさ市に並べる本を選ぶ。

17時半から隣の就労センター街で,ドキュメンタリー映画「いのちの森 高江」上映会・高江・辺野古報告会に参加。久しぶりに外口先生にご挨拶。ただ,挨拶のたびに初めて会うような感じになるので,結局,同じことを話している気がする。

「いのちの森 高江」は,地元で暮らす人の生活と自然の様子を通して,高江ヘリパッド建設反対の取り組みを訴える内容。最後に,ヘリパッド建設により禿げたように刈り取られた森が映し出される。東京を飛行機で飛び立ってしばらく後,千葉上空あたりから地上を見ると,醜悪に刈り取られたゴルフ場の跡を目にする。あれをみるたびに,自然保護を遡上にのせて訴えても,私たちの世の中ではなかなか通らないのではないかと,どこかあきらめのような気持ちを抱える。映画では,自然を守れというメッセージが送られ,それはとてもわかりやすいがゆえに,しかし,自分のこととしては必ずしも腑に落ちないのではないか。

昨年,同じく沖縄・高江と辺野古をテーマにした映画「標的の村」の上映会に参加した。そのとき現地で抗議活動をされている方がおっしゃったことは,それでもとても腑に落ちた。抗議活動だけで,基地建設が中止されるなどと甘いことは考えていない。ただ,工事が1分,1秒遅れることで,何か中止につながる動きが起こるかもしれない。だから抗議活動をするのだと。「いのちの森 高江」でも,そのメッセージは伝わり得るはずだ。シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』を掲げたい気持ちはあるのだけれど,少し前,上野千鶴子が中日新聞のインタビューに答えた記事への批判をみるにつけ,言葉を慎重にしなければと思う。移民云々は初手よりおかしいが,「等しく貧しく」はたぶんニュアンスの違いだ。語ろうとしていたのは「貧しく」ではない。違う形容詞が入ったはずなのだ。

そんなことを感じながら,家に帰ってきた。

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