東銀座

何とか今月号分の座談会原稿をまとめ終わった。メールに添付して手を入れてもらう。自分で蒔いた種とはいえ,座談会連載は物理的に手がかかる。かといって今さらそれで文才が上がるわけでもないし。

ツイートを眺めながら東銀座界隈を思い出した。

昭和の終わりから3年くらいの間,銀座7丁目にある古いビルが職場だった。宝箱を開けるときに登場するのにそっくりな古い鍵で,焦げ茶色に塗られた1階の扉を開ける。宝石店の横が入口で,地下は飲み屋になっていた記憶がある。2階はメディア視聴率調査会社の下請けのような仕事をする会社,3階が会社の事務所だった。4階は応接室と資料室を兼ねてあり,そこから屋上に出られたはずだ。

ラジオ・テレビの広告関係者を対象にした日刊通信紙と月刊誌を発行する,いわゆる業界紙の会社だ。椎名誠が『新橋烏森口青春篇』に描いたような世界がいまだ続いていた。そのことは何回か書きとどめた気がする。

毎朝,馬喰横山の長い通路を歩いて都営浅草線に乗り換えた。東銀座で降りて,三原橋から裏通りをつたって事務所まで行き来した。銀座の裏通りには小諸そばや安い定食屋,弁当屋があって,昼飯は500円かけずに賄うことができた。八丁目の資生堂パーラーの裏通り,銭湯のならびに安くで食べられるラーメン屋があって,混んでいないときは,そこを利用した。銀座ナインが新橋であることを知ったのは,その中にある居酒屋でランチをとったときだったような気がする。

帰りには三原橋近くにあった画集中心の古本屋や,昭和通りの向こう側にあった博文館書店を覗いた。まだ,資生堂パーラーの並びのビルの二階に福家書店が店を開いていたので,新刊はそこで買うことが多かったけれど,違った棚を見たくなると博文館書店に行った。

博文館書店には,古い春陽堂文庫がたくさん並んでいた時期がある。覚えていないが何冊か買った。覚えているのは倉橋健一『辻潤への愛―小島キヨの生涯』(創樹社)を買ったことだ。発行が1990年なので,たぶん会社を辞める少し前に手に入れたのだ。

その頃は,三原橋から一丁目に向かう裏通りにも古本屋が1,2軒あり,ときどきそのまま歩いて八重洲ブックセンターに入ってしまった。京橋あたりはいまもあまり変わらず,月夜に目羅博士が出没しそうな雰囲気がある。

ハンターはソニープラザの地下と西銀座ビル(だったかな)に店を構えていた。中古CDをよく買った。近藤書店とイエナ,旭屋書店,ヤマハ,名画座。古びたビルを眺めながら東銀座まで歩く。

有楽町のガード下には小松が店を開いていて,早いときは事務所で缶ビールを空けた後,15時過ぎには安定感のないテーブルに焼き鳥が並んだ。サービスで出された鳥ガラスープで何度か火傷した。

私はもう20代を折り返していた。妙に賑やかだった銀座には,それでも居場所がいくつもあった。昨日,博文館書店はいつまで,店を開いていたのだろうかと考えた。

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