選民

花粉の飛散が激しくなったためか,朝から調子が悪い。少し遅れて会社に行く。午後から永福町で打ち合わせ。2時間ほどで終え,会社に戻り,仕事の続き。19時半くらいに出て,茗荷谷でハイボールと枝豆,餃子で少し休憩。家に帰り,早めに寝た。

八〇年代のおたく文化に見え隠れしていた選民意識は……自分たちが選民である、という自負などではなく、選ばれることへの渇望ではなかったか(大塚英志、1995年)

このところ『戦後民主主義のリハビリテーション』(角川文庫)を鞄に入れて,ペラペラと読み続けている。1995年からの10年くらいに起きたことを思い出す。何度か読んだはずだけれど,内容はほとんど覚えていない。覚えているのは,阪神大震災のときの筑紫哲也の中継のエピソードくらいだ。ただ,どこかのPR誌で連載されていた筑紫哲也伝では,たぶんこの本から間違った引用のしかたをされていたような気がする。

覚えていなかったどころか,上に引用した文章なんて,覚えていないことが悔しいくらいインパクトがあった。

選民思想は,「選ばれた」ものと「選ばれたい」ものが隊列を組む,という図式でとらえることができる。確かにいくつもの出来事のなかに,この2種類の選民が湧いてきた様子がみてとれる。もちろん,それは悪夢以外,なにものでもない。選民意識のたちの悪さの要因はそこにあるのだろう。

ただ,ものごとを気に入ったり,面白がったりする心性の奥に,選民思想がないとはどうしても言い切れない。なおさら,選民思想の扱いかたは,とてもやっかいだ。

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