廃市

会社に行く前に床屋に入る。連休が始まっているのか,日曜日だというのに,あまり混んでいなかった。座談会の原稿を整理するが,あまりの分量に集中力が続かない。プリントアウトを抱えて17時過ぎに出た。目白の隠れプロントでビールを飲みながら20時くらいまで格闘。山手通りまで歩き,角にオープンしていたインド・タイ料理店に入る。マトンのビリヤニとビール。美味かった。家に帰り,福永武彦の『廃市』を読み始めた。

表題作「廃市」のページを捲りながら思い出したのは,昔,衰退していく町=廃市をよく引用していたことだ。昭和50年代後半から60年代にかけての宇都宮だったり,越谷を指して,廃市のようだ,というように。

福永武彦の小説はほとんど読んだにもかかわらず,内容はすっかり覚えていない。『死の島』だったろうか,心理的な視点を主語にした書かれ方が新鮮だったことくらい。古本屋でときどき目にするものの,読み返してみようとまでは思わなかった。

このところ20歳前後に関心があったこと/ものを,再び読みなおしたり,観なおしたり,聴きなおしたりばかり。

そうやって思い出すのは,昔は「何を聴いているか」と同じくらいに「何を聴いていないか」が重要だったことだ。同時代のバンドでも,聴いているバンドより、聴いていないことを誇りに感じるバンドのほうが圧倒的に多かった。いかにして,そのバンドの曲を聞かないかに心血注いでいたわけだ。

ところが,同時代に似たようなバンドを聴いて過ごしたと思しき人の動向をSNS経由で知るにつけ,このバンドを聴いて,そのバンド聴くっておかしいじゃんか,と感じることが少なくない。平沢進が当時,ニューウェイヴ(洋楽だったかな)を聴く人は歌謡曲は聴かないというような不文律があったはずが,まわりにも歌謡曲を聴くような人間が出てきた,ことに違和感を示していた。

たとえば,じゃがたらというバンドは,渋谷陽一のサウンドストリートでめずらしいことにスタジオライブがあり,その音がスカスカで,あまり琴線に触れるものではなかった。それよりも何も,踊れないことに心底情熱を注いでいた当時,ファンクのリズムは到底受け入れられるものではなかった。 という感覚は普通だと思っていたんだけれど,もっと心が広かったのかな。当時のロック好きは。

私のまわりは,あのバンドやマンガ,映画が好きというと,有無を言わさず却下される/することが普通だったんだが。

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