廃市

仕事は続く。20時に本郷三丁目の改札でプリントアウト原稿の受け渡し。こんな時間なのでそのまま帰る。久しぶりに高田馬場の大地のうどんに入ったところ,大盛況。カウンターでビールを飲みながらゴボ天うどんを待つ。「廃市」を読みながら,少しずつ物語を思い出してきた。食べ終わって,裏道を通り家まで歩いて帰る。

午後に那智君からメールが入った。ポール・マッカートニーの東京ドームコンサートに当日券で入ろうとしたところ,小一時間並んだあたりで,噂のポールからのプレゼントに見事つかまり,無料でS席に入ってコンサートを見ることができたのだとか。メンインブラック経由のSNS界隈の都市伝説かと思ったら本当にあったのだ,「ポールからのプレゼント」。

「廃市」は,タイトルそのもの,町が潰えていく様子と,家が潰えていく様子が重なる。当然,観察するのは外部の視線だ。

学生時代につけていた日記に,父方の義理の姉(無茶苦茶込み入った関係だが)の実家が何代も続く旧家で,父とともにその家を訪れたときのことを書いた記憶がある。あのとき,覚えていないけれど,たぶん「廃市」のイメージがまだ根強く残っていのだろう。

その列島で一番賑わいのある町の中心に,その旧家はあった。訪れたのは南の町にめずらしく雪が積もった1月のことだ。門を抜けると,正面に大きな倉が見え,左に長く横たわる平屋があった。全体は黒く塗られている。雪は溶けずに屋根や門に降り積もる。

その大きな家に,今住んでいるのは女性ばかり3人。父の義理の姉とその娘,それにお手伝いとして雇われたものの歳とともに体調を崩した身寄りのない女性だ。地域の庄屋として栄えたその家は代々女系家族で,父の兄を婿に迎えてその代は継いだものの,子どもは一人娘だけだった。その頃,30歳を過ぎ,保母をしながら親と女性の面倒をみる彼女と会ったのは初めてだと思う。

挨拶をし,亡くなった父の兄のお参りを済ませた。本当に静かな家だった。降る雪が積もる音以外,何も聞こえなかった。父がおばさんと話す様子を手持無沙汰に眺めながら,時間をやり過ごす。まじまじと見たわけでないものの,一人娘は結婚をせずにいるのが不自然なくらい美しかった。私が人をそんなふうに見ることしかできない頃のことだった。

帰りに彼女からみかんをもらった。

なんとはなしに「静かな家だったね」と言うと,「大変だな,あの様子じゃ」と父は小さく呟いた。おばさんは夫,つまり父の兄を早くに亡くし,ひとりで家を支えてきた。往時は幾人もの人を雇い賑やかだった家は,衰退し,残っているのは,身寄りのないあの老婆だけだ。老後は自分が世話をすると決め,二人で面倒をみているのだという。

一人娘に見合いの話はいくつも来たものの,家の様子を知ると,誰もが次の一歩を踏み出すことはなかった。

関東で学生暮らしをする私には,それらすべては身近に感じることができないことばかりだった。内部の視線をもつことはできそうにないな。そのときたぶん初めて,そう感じた。そして,その感じはあながち間違いでなかったようで,以来,決して短くはない時間を「傍観者の居心地のよさ」のなかで過ごした。

父が学生の頃,この家から仕送りを受けて,学校を卒業したと聞いたのは,もう少し後になってからのことだ。

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