真コンビニ人間

週に3,4,5回は,昼休みに近くのコンビニで昼に食べるものを買う。混んでいるときが多く,ときどきは空いている。

レジは2台。アルバイトがローテーションで代金を計算,金銭をやりとりし,商品を袋に入れる。昼時なので,レンジで温める弁当を買う客が少なくない。レンジ待ちの客は列から離れ,次の客が空いたレジに行く。

新人はもとより,入ってしばらく経つにもかかわらずマイペースを崩そうとしないアルバイトがいる。なんでこんなことを書いてしまうかというと,買う方も売る方も,混雑時のコンビニに独特の「場の雰囲気」にみずからはまり込み,その場の雰囲気を乱すものがいると,それを排除しようとするからだ。買う方の商品の出し方,お金の払い方,アルバイトがバーコードをスキャンするタイミング,袋と箸類をあらかじめ用意するタイミング,それらを合わせて,1人がレジを離れるまでの時間などが,徐々に均一化していく。

まず均一化するのは「時間」で,いきおいその時間と場のなかで発せられる単語,動作の手順も均一化する。

2人のレジのうち,1人がマイペースを崩そうとしない,とする。この場合,マイペースとは99%,均一化された時間より長くかかることを指す。発せられる単語,動作の手順も,均一化との差異が甚だしい(実際には大したことはないにもかかわらず,そう感じられるようになってくる)。客からの沈黙のプレッシャーに押しつぶされてか,他のアルバイトからのプレッシャーからか,それらが混然となったためか,マイペース派のアルバイトが長続きすることはない。

均一化した時間と場のペースを維持するアルバイトを「真コンビニ人間」と仮に名づけてみる。

アルバイト「真コンビニ人間」は,近隣数軒の系列コンビニを掛け持ちし,時間と場をコンビニ化していく。このあたりのコンビニに流れる空気が共通しているのは,そうした理由だと思う。

「真コンビニ人間」は,時間と場の共有,伝播を結果として求めている。にもかわらず,その期待に応えるアルバイトは一定数以上は増えない。「真コンビニ人間」が発生する係数は地域,年代,性別を問わずほぼ一定なのだ(と思う)。

一方,客の行動の均一化は容易に伝播していく。特に昼時はその傾向が顕著だ。行きつく先は,均一化した客によるセルフレジ化のはず。ところが,「真コンビニ人間」が統括する店ではセルフレジ化が進まない。

というような戯言を考えながら,レジ待ちの列に並ぶ。

スーパーマーケットに比べコンビニの方が遥かにレジ打ちの均一化が進むのはなぜだろう。スーパーマーケットのアルバイトはスペシャリストを志向し,コンビニのアルバイトはジェネラリストを志向する,として考えてみると,それは教育の違いなのだということになるのだろうか。と,書いて検索してみると,似たようなことを書いた求人サイトがあった。ここ

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