車いすと水上勉

買って帰りたいものがあった。18時に仕事を終えようとしたタイミングで,締切を大幅に過ぎた原稿が届く。念のため添付ファイルを開き,ざっと目を通したところ,進行担当と印刷所の判断で手を入れて進められる状態からは程遠い内容。何本か中見出しを追加しながら,ざっと原稿整理して,進行担当者に渡す。10,000字ほどの手入れに1時間半ほどかかった。買い物はあきらめ,駅前の居酒屋で一杯だけ飲みながら水上勉『死火山系』(光文社文庫)をキリのよいところまで読み,家に帰った。

仕事の関係(直接は使わなかったものの)で買った川上武・山代巴『医療の倫理』(ドメス出版)を少し前に読み直した。本書で取り上げられているフランクルの『夜と霧』,北杜夫『夜と霧の隅で』は読んでいたので発言趣旨は理解できたものの,読んでいない遠藤周作『海と毒薬』,水上勉『くるま椅子の歌』を古本屋で探していた時期がある。

ちょうど映画「沈黙」公開後で,遠藤周作の代表作の多くは100円均一コーナーから姿を消していた。ようやく,そこそこの状態のものを見つけ,この前,『海と毒薬』は読み終えた。以前は水上勉の『くるま椅子の歌』もときどき,100円均一コーナーで目にしたのだけれど,ここしばらく遭遇しない。

そんなことを思ったのは,『死火山系』を読み始めたタイミングで,車いすの話題にぶつかったからだ。

『医療の倫理』のなかで,『くるま椅子の歌』はとても評価されている。作者自身の「困りごと」を土台にしているから,言説は軋むことが少ないのだろう。

四半世紀前に亡くなった上司は,高橋和己とともに水上勉の小説のファンだった。彼は整理部に異動され嫌気がさした新聞記者あがりだったので,社会派推理小説の書き手としての水上勉ファンだったはずだ。

水上勉の小説は,有馬稲子の舞台「越前竹人形」を見た後,原作を読んだのが最初だった。その後,『海の牙』『耳』と数編を読んだくらいで決して熱心な読者ではない。『死火山系』もたまたま古本屋で見つけたから買っただけだ。ただ,歳をとってくると,若い頃,毛嫌いしていた社会派推理小説をときどき読みたくなってくる。結城昌治や三好徹,半村良の小説を読む冊数のほうが圧倒的に多いものの,それでも水上勉の推理小説があると,とりあえず買ってしまおうかと立ち止まる。

システムは困ったりしないので,システムに業務を丸投げしたり,意識的に仕事に向き合っていないならば,その特権的立場に対するものとして向き合う必要があるだろうけれど,困っているもの同士であれば,改善策を模索することはできる。

『くるま椅子の歌』を読んでいないにもかかわらず,水上勉だったらどう考えるだろうかと,誰か考えた人がいるのだろうな,と思った。

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