出版


家内から連絡があり,事務所の近くのクリニックを受診しているとのこと。朝9時前から診察待ちの患者が並ぶようなクリニックなので,18時を過ぎても診察まで1時間ほどかかるそうだ。

19時過ぎに仕事を切り上げ,家内と待ち合わせた。娘は風邪気味でお弁当を買ってきてくれればよいという。池袋のエチカにあったハンバーグ店でサッと食べて帰ろうかと思ったらラーメン店に変わっていた。しかたないので地上に出てGARAでカレーとビリヤニ。食べ過ぎてしまった。

蔵前仁一『あの日,僕は旅に出た』(幻冬舎)を読み終えた。途中から,ああ,出版業界は他の領域も同じような道のりを歩んできたのだな,と妙な感慨をもった。

1998年から2004年あたりの流れは,専門書出版もほぼ同じようなものだったと思う。雑誌の部数減,撤退するかどうか,月刊から季刊,休刊,とにかくタイミングがいちいち腑に落ちるので驚いた。ただ,それでもさまざまな方法(かなり姑息なものが含まれているかもしれないけれど)をとりながら,月刊を意地でも維持する版元がある。もしかしたら少なくないかもしれない。意地だから,いろいろなことが等閑にされているような気もする。

2003年頃,身近で雑誌の継続云々についてドタバタしていたとき,それまで4人でつくっていた月刊誌を,1人プラス管理職で継続することになった。ギリギリ30代だった私は「読者に対する責任をどう考えるのか」と迫った。けれど,当時,四捨五入すると平均60歳だったこれからの雑誌担当者(つまりは管理者)たちは,その問いにまったく反応しなかった。何を言っているのか不思議そうに首を振るだけだった。だめだな,とは思ったけれど,そのとき彼らが何を考えているのか,私には理解できなかった。

含羞があるならばまだしも,臆面もなく続けるという判断に呆れ果てた。結局,それが4人でつくっていた雑誌に対する彼らの評価だったのだということくらいはわかった。

嗤うしかない1年が過ぎ,その後2年,管理職たちは率先して遣いっぱしり成り下がった。

その様子を遠くから眺め,しばらく後,近くであのドタバタが繰り返されるのを目にせざるを得なかった。私は40代半ばになっていた。

それからは,蔵前さんが記しているように,結局は「身の丈の問題なのだ」と思うことにしている。

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