素人

Webで検索していると,ときどき違和感をもつことがある。20世紀の終わりに,同じように検索をかけていたとき,素人のページは弾いていたことを思い出すのだ。

その頃,書肆情報は紀伊國屋書店のサイト,もしくはつくられつつあった外からアクセス可能な図書館のサイト,他にアクセスするのは小説家・ミュージシャンなどの個人・事務所サイト,仕事でチェックが必要なサイトくらいだった気がする。音楽を鳴らすのは大変だったし,動画なんてなおさらだ。それらが一般的になるまでには時間が必要だった。

データベースをアップしているサイトは重宝したものの,その正確さを保証するものは何もない。自分の感覚を頼りに情報を探した。一日中,Webを見ていられるほどに情報量は多くなかった。検索をかけると出てくる個人サイトはだから,ある時期までとても邪魔だった。今でこそ,(仕事で原稿書きをしていない)素人の書評に面白さを感じるのはあたりまえになったものの,当時は素人の原稿を読む習慣自体がなかった。本や雑誌で目にする文章は100%近く,編集者やそれに類する人の目でチェックされたものだった。30歳を過ぎるまで,一個人が書きなぐった(ここにアップしているような)文章を,他人が読むことなど,できはしなかったのだから。いや,読もうとは思いもしなかった。

検索して出てくるサイトをチェックしながら,プロのサイトばかり探していた。21世紀に入る前後だっただろうか,それが混濁してきた。「VOW」がWebに移行したような雰囲気が登場したのだ。初手から,素人であろうがプロであろうが,サイトは等価だったはずなのだ。ようやくWebの当初の意図は成し遂げられようとしていた。

それから15年以上を経て,サイトの等価性は結局,広告産業にすっかり刈り取られてしまったように感じる。

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