記憶

「記憶」なんてタイトルで書いたならば,結局このサイトに残っているものはすべて記憶なんだけれど。

久々に雨風は止んだ。とはいえ雲が切れない一日。「森田童子」を検索したプロセスはまったく忘れてしまった。「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」という字面を眺めると,学生時代の記憶が蘇ってきた。

一連の投稿を読んでくれていた人から初めてダメだしされたのは,「秋刀魚の味」と題をつけて記したとき。14年前のことだ。SNSと似たようなしくみのサイトを使い始めてから数か月が経ち,その記憶を書き連ねたのには,すっかり忘れてしまった何かきっかけがあったのだと思う。ただ,抽斗のなかのネタを使い尽くしてしまっただけだったかもしれない。

投稿内容は広く目を留まる内容ではないため,当時,週に数回アクセスしてくれるのは4,5名の決まった人だけだった。15年以上経っても,この人数だけはほとんど変わらない。その頃も80年代のことを中心に書き留めていたのだから,これもあまり変わっていない。

このときの投稿に登場する人から借りたカセットテープ,あの夜,その人のアパートでごはんを食べながら聴いたのが森田童子の「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」だった。音楽のことをあれこれ話したにもかかわらず,彼がどのようにして森田童子を聴きはじめ,ファンになったのかを尋ねた記憶がない。昭和60年代が始まったばかりとはいえ,その頃,森田童子の名を音楽ファンの口から聞くことはほとんどなかった。私はレコード店でジャケットを目にしたことがあるものの,曲は高校時代の友人が兄を経由して聴いていた数曲を知っている程度だった。ニューウェイヴの波はどうにか続いていたので,フォークにカテゴライズされる曲を聴く気はなかった。

借りたカセットテープは聴いた。鐘だったかのエコーは,その後,グレゴリアンチャントが流行った頃,音の感じが似ているように思った。P-MODELの“Perspective”以降,ロックでもゲートエコーとは違い空間を使ったエコー処理が盛んな頃だったので,そこだけは面白かった。ただ,歌詞や曲については一線を画したい感じが先立ってくる。(長くなりそうなので次回につづきます。)

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