劇場版

夕方まで南新宿というか北渋谷で自社セミナー。まだ雨が降らないなかを南口をおりて甲州街道を横断する。セガフレードに入り,モーニングをとる。まわりはフランス人に中国人一家と娘婿のアメリカ人など,9割から日本語が聴こえてこない清々しさ。

18時くらいに一式済ませて,西口のブックオフを覗くもののほしい本は特にない。久しぶりに新宿から大江戸線で帰る。伊野尾書店で大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた―角川書店と教養の運命』(星海社新書),渡辺京二『死民と日常〈私の水俣病闘争〉』(弦書房)を買って,線路を渡った向こうにできた韓国居酒屋で夕飯を兼ねて飲む。

21時過ぎに帰り,本を読みながら少し眠るはずが1時を過ぎていた。寝る準備をして大塚英志の新書を読み終えたのは3時をまわっていた。

大塚英志の新書は第9章からガラッとイメージが変わり,第10章のスリリングな展開に至る。そこだけ何度か読み返したものの,うまく引用できない。

大塚英志の本を何冊も読み,通奏低音のようにひっかかるのは,1977年,最初の劇場版「宇宙戦艦ヤマト」を観るために朝から行列を作った現象に他とは違う評価をもっていることだ。

中学2年の夏休みのこと。父親の転勤のため宇都宮の中学校に通っていた私は,いまやコスプレカメラマンになった友人とともに,たぶん始発電車で池袋に向かった。1977年8月8日のことだったと思う。SNSもなにもない時代,たぶん映画館前に列をつくったのは,「宇宙戦艦ヤマト」に関心をもちながら深夜放送を聴いていた層が多かったのではないだろうか。だからそれは後に新人類と呼ばれる世代を下限に,少し上にかかった集団だったと思う。そうとでも考えなければ,始発で池袋に向かうに至った情報のありかがわからない。

当時,リアルタイムで情報を得られるのはラジオくらいしかなかった。Wikiをみると「月刊OUT」が情報源とのことだけれど,上映期間が1週間だということを知ったとはいえ,だからといって始発で映画館前に並んだのはたぶん,深夜放送からの情報だったと思う。

動員について考えるとき,最初の劇場版「宇宙戦艦ヤマト」を契機として,続編や数多の角川映画のことを思い出し,動員された自分が同じ轍を踏まないためにどうすればよいかと折々に対象化してきた。ただ,劇場版「宇宙戦艦ヤマト」第1作は違うのだと,大塚英志は記しているように思う。

A5判当時の「月刊OUT」を高岡書店で目にしたのは1977年のいつ頃だっただろう。輪のようなアステロイドの真ん中に隕石を模した宇宙船が浮かぶ絵をいまだに覚えている。あの号を見たことと,映画館に並んだこととの因果関係がいまだに思い出せない。(加筆予定)

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