感覚

iMac G4を手に入れてからの数年間,毎日午前1時,2時くらいまでなにがしか手を加えていた。仕事をどうしていたのか思い出せないが,娘はまだ保育園に通っていた頃だから,生活のほとんどの時間が娘中心にまわっていたと思う。そして娘を寝かし終えた後の時間のほとんどをMacとともに過ごした気がする。

その頃,娘の雑誌以外で唯一,私が読むために買っていたのはMacの雑誌だった。ライブや映画いに出かけることもなかったその頃の感覚がときどき蘇る。

サイトを巡り,執筆で生活しているわけではない人が書いた文章を読み,整理された情報を得る。Windows95とともに広がったネット環境は,その頃,プロの情報を辿るためのツールから,個人の情報発信(その情報につながる人の登場とともに)に大きく舵を切った。

個人が発信し,個人とつながるためには,共通のプラットフォームに乗るのが都合よいのだけれど,結果,プラットフォームを維持・運営のためのコストを得るモデルは広告に依存するものになっていった。発信する側にとってみれば,無料かつ周知の手間がかからない便利な環境ではある。一方で,そのために失ったものは小さくないのではないかと,ときどき考える。(加筆予定)

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