水俣


渡辺京二『死民と日常』は1/3を過ぎたあたりから面白くなってきた。

1974年の新春早々,水俣市の空は昏かった。水俣病の報道があってから10数年を経ており,学校に行く時間の前に流れていたテレビのニュースに映る患者・家族,支援者たちのいくつかの行動が報じられるのを何度か見たこともあった。昏いのは町の光だ。

すでにバブルに突入していた頃,宇都宮で一時,就職した芳弘がときどきつぶやいた「町の昏さ」に思い出したのは1974年の水俣だった。

二世代,三世代を経た第二次産業従事者とその家族が,戦後,国内に戻り,工場労働者となる。その工場が発生源の公害。吉田司は“どこまでいっても餓死者しか生まないイザナギ”と書いていた記憶がある。だから渡辺京二が新書で昔日の日本の一部をまとめ上げたとき,ここに暮らす,すべての者に食い扶持を提供できた過去があるかのように“幸せ”をつまみとって示したことにかなり違和感を覚えたのだ。

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